マインドコントロールについて2
魔女狩りとマインドコントロール
「魔女狩り」とは、中世ヨーロッパの時代に、「魔女」つまり呪術を使って人々に害を及ぼすとされる者たちを国とキリスト教会が結託して告発し、宗教裁判(通称、魔女裁判)にかけ、大勢を焚刑(火あぶり)などで死刑に処したとされる実際に存在した史実である。
当時の強者である国やキリスト教会が、魔法使って人々を誘惑するなどと根拠のない罪状をこじつけ、弱者である異端者を「魔女」とレッテルを張り、善人面をしてマイノリティを迫害してきたのだ。
このことから「魔女狩り」という言葉は、強者が思想や信条を異にする弱者を迫害するという意味の代名詞にもなっている。
現代では、この話を滑稽に感じたり、秩序のない時代の出来事のように考えてしまうが、私は昨今の旧統一教会問題と酷似していると考えている。
前回も詳述したが、他者の意思を自由に操ることができるマインドコントロールは、魔術と同様に定義があまりにも曖昧なものだ。にも拘わらず、野党や一部のメディア等は、あまりにも曖昧なその言葉をあろうことか一国の法律の規程に組み込もうと主張しているのだから、彼らは、中世ヨーロッパの「魔女狩り」と同様、確証のない事柄で特定の団体にレッテルを張り、善人面をしてマイノリティを迫害するという稚拙なやり方しか持ち合わせていないのだ。
被害者救済を主張するなら徹底的に
私は、この旧統一教会問題を、中身のない無意味なもので終わらせてほしくない。
旧統一教会をマインドコントロールを行う危険な団体だと主張するような政治家ははっきり言って要らない。政治家なら、主張の根拠・裏付けをきっちり示したうえで主張をせよ。
旧統一教会の元二世信者で旧統一教会の実態を暴露する二世の主張を聞くと、「それってお旧統一教会っていうより、親の問題では?」と思うことがほとんど。彼らには、旧統一教会批判の風潮に流されず、両親としっかり向き合ってほしい。
私の両親も、もともとは熱心な旧統一教会信者(今は教会に通っていない)だった。
これまでに多額の金額を教会に捧げてきたのだろう。自宅には、1点で数百万円とされる経典や壺などがゴロゴロ。いまでは押入れの奥で埃を被っている。
幼い頃から、教会に通うことは半ば強制だったし、異性との付き合い禁止、結婚は祝福結婚のみという熱心な家庭だった。
これは何も旧統一教会に限らず、他の宗教家庭でも見られる光景だし、宗教家庭でなくとも、由緒ある家柄の家庭でも同様のことがあるのではないだろうか。
これを人権問題だと騒ぎ立てる人たちがいるが、日本の象徴たる天皇家を考えてみればいい。天皇家にどれだけの自由があるのか。
そもそも人権とは何か。自由でさえあればそれで人権が確保されているのか?
この問題についてはまたどこかで論述したい。
社会の魔女狩り的な風潮に騙されてはいけない。
私は、国をあげて徹底的に、旧統一教会の日本法人のみならず、韓国本部も調査し、献金の流れ等を調べあげて、すべての罪状を指摘してほしいのだ。
中途半端な介入やファンタジーなレッテル張り、単なるパフォーマンスは、むしろ被害者を増やす結果につながりかねない。