旧統一教会の社会問題化は必然?

 私は、統一教会の元二世信者である。
 両親に連れられて教会に通うだけの二世信者ではなく、みずから学び、指導もしてきた。
 その崇高な教えとは程遠い現実を目の当たりにし、教会を去った。
 現在は、ごく平凡な家庭を築いている。

 以下はそんな私の旧統一教会での体験談である。

 

 教会の日曜礼拝で以下のような話を聞いたことがある。

 旧統一教会の現総裁である韓鶴子氏のことである。
 「韓総裁は、自身の前で芸を披露するために韓国へ訪問した数十名の日本人の団体に対し、帰りの飛行機をキャンセルさせてまで、もてなしの場を設け、お土産までくださった。」
 この話を聞いた教会員たちは 「韓氏の懐の深さ」に深い感銘を受けた。

 しかし私は、感銘を受けるどころか、複雑な感情を抱いた。

 飛行機のキャンセル料等は誰が支払ったのか。誰が払ったにせよ、数十名分のキャンセル料や追加の航空費用などは、まぎれもなく教会員の心からの献金が原資となっている。
 金銭感覚がおかしくなっているのか、教会員の献金を何とも思っていないのか、どちらかに違いない。

 

 またある時、私はとある地区の地区長と面談する機会があった。
 その地区長は、黒塗りの高級車を公用車に購入したり、神殿のような教会の建設に取り組むなど、剛腕でワンマンなスタイルで知られていた人物だ。
 私は「何故大枚をはたいてまで教会を大きくする必要があるか」と問うた。
 その問いに対して彼は「神聖な神殿に神聖な精霊が宿る」という趣旨の回答をした。

 私は、教会員を犠牲にしてまで必要な施設なんてありはしないと思った。
 教団のトップや幹部が、献金の背景にある教会員の真心や犠牲を感じ取れなくなっているのならば、次第に求心力は薄れ、崩壊の一途を辿っていくはずだと当時考えていた。
 それが今まさに、山上徹也容疑者の安倍元総理銃撃事件に端を発し、現実のものとなりつつある。

 

マインドコントロールについて

 

マインドコントロールについて

 12月10日、旧統一教会の被害者救済法が衆議院本会議で可決、成立した。

 この救済法の条文をめぐっては、野党側から、「マインドコントロール下での寄付の規制」に関する意見が付されていた。このことについて、一言言わせてほしい。

 「マインドコントロール(洗脳)」という定義が難しい、曖昧過ぎる文言を条文化しようとするなんて、どうかしている。

 こんな条項を条文化して、被害者がマインドコントロールされているかどうかを誰が判断できるのか。言葉は悪いが、馬鹿なのかと思ってしまう。

 旧統一教会をメンタリスト集団か何かだと勘違いしているのだろうか。

 もっとわかりやすく、「黒魔術を活用した献金の禁止」等と規程してはどうか。
 とってもファンタジーな法律になるだろう。

 国会という言論の府の最高機関で、このような稚拙な議論が交わされていることに、正直驚く。

 マインドコントロール(洗脳)は、「Wikipedia」によると、「操作者からの影響や強制を気づかれないうちに、他者の精神過程や行動、精神状態を操作して、操作者の都合に合わせた特定の意思決定・行動への誘導すること・技術・概念」とされ、「コトバンク」では、「一時的にあるいは永続的に、個人の精神過程や行動を操作あるいは支配すること」と記載されている。

 ここでのポイントは、本当に他者の意思を「操作」することが可能なのかということ。 

 私は、旧統一教会の元二世信者であることを前述した。これまでの教会生活の中で見聞きした範囲で一部を暴露すると、「先祖のため」「子孫のため」という名目で、クレジットカード等で借金をさせたり、生命保険の返戻金を解約させるなどの事例も実際に聞いたことがある。
 これらは重大な問題だが、手法としては相手の意思を操作しているのではなく、単に献金を捧げさせる説得に成功しているのだ。
 なぜなら、説得した教会員は、相手をだましている意図はなく、善意で説得をする。それゆえ、その熱意に納得してしまうのだろう。

 

 私は、何者かが、わざと論点を「マインドコントロール」、「カルト」という簡単で、曖昧な方向で処理しようとしているのではないかと深読みしてしまう。

 

 根本の問題はほかにある

 大手自動車メーカーのトヨタには「5W1H」という考え方があるという。
 「Why(なぜ)」を繰り返して真因をつきとめてはじめて、「How(どのように)」解決するかを決定していくというものだ。  
 「Why」1回では、真の原因をつきとめることはできない。
 真の原因を突き止めないまま、解決しようとしても、また同じ失敗を繰り返すだけだ。

 この旧統一教会献金被害者で考えてみよう。

 1、なぜ、献金被害が発生するのか
→教会の担当者が一部で過剰に献金を捧げさせているから。
 2、なぜ、過剰になる事例があるか
→地区、教会毎のノルマが大きく、達成できないと叱責をうけるため、担当者が過剰になる
 3、なぜ、ノルマを課さないといけないのか

 

 このように、3つ「Why」を繰り返すだけでかなり深層までたどっていける。

 なお、3つ目の答えを得るためには、韓国本部等に献金の流れに関する質問をしなければならない。
 
 あとは、本件についてどこまで証拠をつきとめていくかだけだ。

 政府として、外国の宗教団体に対し、どこまでの措置を講じることができるのか。
 国際問題にも発展しかねないこの大きな問題に真剣に向き合うことは、政府には期待できない。

 

旧統一教会被害者の救済について

 被害者救済法案について 
 
 12月1日、被害者救済新法が閣議決定され、法案が国会に提出されることとなった。
 「霊感」等で不安に付け込む等の行為を禁止し、これらの行為を取り消しの対象とし、配偶者や子が本人に代わって取り消しや寄付の返還を求めることができるというもの。

 この法案に対して、山上容疑者の家庭で考えてみる。
 母親が旧統一教会に対して高額な献金をしたことを家族が知れば、一旦は、配偶者や子供が取り消しを求め、お金が戻ってくる。
 しかし、自主的に献金をしている母親が教会とつながっている以上、高額献金の連鎖は続いていくのではないだろうか。

 また、団体の配慮義務についても「個人や家族の生活の維持を困難にしない」など曖昧な基準しかない。

 これでは、被害者の救済に到底なり得ない。

 また、小川さゆりさんらが訴える「宗教法人法による解散命令」でも、任意団体として存続はできることから、さらなる被害拡大につながりかねない。

 これらのことから、法による救済はこれが限界だろう。

 ではどうすれば、根本的な解決が望めるのか。
 教会内部の構造、献金の流れを追いながら、根本問題を模索しつつ解決策をさぐっていきたい。

 

統一教会献金について

 

 献金にはいろいろ種類がある。

 毎週日曜日の礼拝時に集まってくる「感謝献金」や月収の10分の1を捧げる「10分の1条」。
 それ以外にも、韓鶴子氏が新たに出版した聖なる本を各家庭に置くなどの名目で捧げる「特別献金」。韓国の聖地「清平(チョンピョン)」にて捧げる先祖解怨のための献金。教会主催の祝福結婚を受けるための「祝福献金」など、名目は五万とある。

 教会の献金は主に婦人部が担当しているのだが、毎月の献金の集まりが芳しくないと、地区長(全国を5つに分けた「地区」の責任者で、定期的に各教会を巡回している)からかなりの叱責を受けると、成和部長(青年をまとめる部署の責任者)から聞いたことがある。
 そのため、婦人部の担当者は、毎月の献金ノルマに対して戦々恐々としているのが実情だ。
 また、多額の献金を捻出する会員に対しては「篤志家」として、特別な会合を持つなどの好待遇を受けることができる。

 献金について、今年7月に田中富広会長が、「献金についての金額やノルマに決まりはない」と明言し、各教会に指導を徹底するという趣旨の会見をしたが、私が知る範囲では、少なくとも教会単位どころか、地区単位での献金ノルマは存在していた。

 しかしながら、現場で献金集めをする献身者(教会スタッフ)は、上からの叱責による恐怖にかられ、時には使命感にかられて仕事をしている。現場に責任を押し付ける記者会見は、統一原理で、自身を犠牲にして他者を慈しむことを学んでいる立場の発言とは到底思えない、ひどい会見だった。

 どこにメスを入れれば膿が出てくるのか。

 少なくとも、現状の法整備や元二世信者たちが訴える中途半端な救済方法では、膿に到達することなく、しずかに幕引きを迎えることになるだろう。

 そうさせないためにも、引き続きこの問題に対して、アプローチをしていく。

 

 

「旧統一教会」の解散命令の是非について

はじめに

 山上徹也容疑者から銃撃を受けた安倍元首相が凶弾に倒れてから数か月が経過した。これまで静観してきた私は、元二世信者である小川さゆり(仮名)さんの記者会見を機に、教会内部の事情をある程度知る立場から、旧統一教会問題への解決策を検討していきたいと考え、このブログをはじめた。

 これまで、メディアで二世信者又は元二世信者の主張を幾度か耳にしたが、教会の内部事情をさほど知らない立場から教会批判するものが多い。今回の小川さゆり(仮名)さんの記者会見も、ご自身の家庭内での被害体験を振り返り、情に訴えかける主観的内容がほとんどであり、旧統一教会の「解散命令」を訴えるには、あまりにも教会内部の情報が不足しており、説得力に欠ける。
 
 私は、主観的な旧統一教会批判ではなく、自らが実際に体験してきた旧統一教会の実態を分析しつつ、本当の問題解決に向けた取り組みを模索していきたい。

 

私自身について

 私は、「旧統一教会」の元二世信者(両親が統一教会の祝福結婚を受ける前に産まれた信仰二世)である。
 物心ついた頃から両親に連れられて教会に通い、大学生になると教会から勧められた教会関連の任意団体「原理研究会」に所属した。大学卒業後は一般就職せず、原理研究会の献身者(スタッフ)として朝から晩まで寝る間を惜しみ、身を粉にして働いてきた。

 お金はなかったし、時間的な自由もなかったが、今振り返っても充実した毎日を送っていたと思うし、後悔はしてない。
また、20歳代終盤からは、地元の教会で献身者(スタッフ)としても働いてきた。

 そんな私が、教会に所属することに対して違和感を覚えるようになった。
 それは、教祖である文鮮明氏が亡くなってから、組織が分裂し、腐敗していく様を身近に感じたからだ。
 先輩・後輩に関わらずいろんな人と教会の腐敗説について議論を交わした。
 しかし、納得のいく回答は得られず、最終的には教会を去り、社会で就職し、家庭を築いている。

 

解散命令により被害者が増える?

 現在、旧統一教会の解散命令についての議論が国会等においてなされているが、宗教法人法に基づく解散命令が執行されれば、本当に旧統一教会の問題は解決するのだろうか。
 私は、旧統一教会の解散命令の議論について、これまで解散命令が下された「オウム真理教」、「明覚寺」とは大きく事情が異なると考えている。
 それは、外国発祥の宗教であり、現在もなお、日本教会からの献金に依存している国際組織である点だ。
 つまり、たとえ旧統一教会が宗教団体法人格を剥奪されたとしても、任意団体として活動を続けることができる。その場合、高額献金の連鎖が消えるどころか、宗教団体法人格を剥奪されたことによる税金などの負担増に伴い、残された教会員の献金ノルマが増加することは容易に想像がつく。

 本当に旧統一教会の被害者救済を考えるのならば、「解散命令」後にどんな二次被害が想定されるのかを踏まえた上で慎重に議論を進めてほしい。

 

 次回は、教会内部の構造について詳しくお話ししたい。